江戸時代の前期、佐賀県の有田に、ひとりの陶工がいました。

彼は、まだ幼い子どものころ、夕日に映えて柿色に染まった空に、いたく感動した記憶があったということです。

そして、何とかそんなすばらしい色を、自分がつくる陶器に表現できないかと、思いついたのです。
彼は、くる日もくる日も、一生懸命に研究し続けました。

中国の赤絵という上絵付けの技法まで学びましたが、なかなか思ったような色を出すことができません。

それでも、彼は、毎日、その赤絵に工夫を凝らして、もっと豊かな色を表現できないかと、チャレンジしました。

ただ、子どものころに見た、あの柿色を再現したい。
それだけを思って、がんばり続けました。

そんな努力が実って、彼はやがて、日本的趣向を凝らした赤絵を完成させ、とうとうすばらしい柿色の陶器を作り上げることに成功します。

彼が、美しい柿色の空を見てから完成までには、何と50年近くの年月が過ぎていたといいます。

この陶器は、佐賀の藩主も大いに気に入り、陶工は、柿右衛門という名を与えられました。
 
この赤絵の繊細で華麗な美しさは、当時の人々に大変な感銘を与え、柿右衛門の名前は、あっという間に、日本全国に広がることになります。
 
それだけでなく、柿右衛門という名前は、その作品の名前にもなり、遠くはオランダやイギリスにまで響き渡り、17世紀後半の、ヨーロッパの陶器作りにも、大きな影響を与えたということです。

柿右衛門は、小さな地方都市の、一職人にすぎませんでした。
早熟の才能もなく、ただ黙々と努力を積み重ねた人です。

彼は、有名になりたいとか、お金を稼ぎたいと思って、赤絵に取り組んだのではありません。
ただ、自分が見た、柿色の空に感動して、たまたま自分の仕事としていた、陶器にも、あんな色を表現してみたいと思っただけです。

50年という長い長い年月の間には、きっと、投げ出したくなったり、自分には出来そうもないと、あきらめかけたりしたこともあったでしょう。

やり続ければ、必ず、赤絵の技法が完成するという保証はありません。
たとえ完成しても、それが、世間に受け容れられるかどうかもわかりません。
 
でも、彼は、自分の夢を追って、がんばり続けました。

彼は、勇気を持ったのです。 
自分が望むものに向かって進んでいくという勇気です。


この勇気は、ほかのどんな勇気よりもすばらしいと信じています。

誰に言われるでもなく、他から与えられるものでもなく、自分の内側から沸いてくる、本当の勇気です。

辛いことがあったとき、苦しいことがあったとき。
何もかもなくしてしまったと思えるとき。

思い出してください。
あなたのなかには、必ず、この勇気が出番を待っているはずです。

 自分が望むものに向かって進んでいく勇気。
 自分らしく生きる勇気。
 幸せになる勇気。

前に進みましょう。
 
大丈夫。 
心から望むものは、必ず実現するし、必要なものはすべて自分のなかにあるのです。