さまざまな愛・・・


夫婦の愛

『その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか。』

 教会での結婚式の宣誓への問いかけですね。

 理想の結婚を夢見て愛し合った二人が共に将来を誓い合い、結婚をして夫婦として生活するようになります。

 でも、現実は恋愛時代のような熱く燃えるような気持ちは実生活と共に徐々に薄らいできます。

 そうでなくても、違う独立した人格の二人が一緒に生活するわけですから、どんなに愛し合ったふたりでも、長く夫婦生活を続けるほど相手の人間としての弱さや欠点、その他よくない面を多く見てしまうようになりがちです。

 近年、中高年夫婦の離婚が増え続けています。

 会社以外に居場所を持たなかった定年間近の夫、あるいは定年後の夫。それに引き換え地域活動や友人との交流で元気で多忙な妻。

 定年後の夫との暮らしが苦痛だという「主人在宅ストレス症候群」なる言葉も使われるようになりました。

 こうした夫婦間の格差が、中高年夫婦の危機を招いていると言われています。

 子どもが独立後、あるいは定年後こそ真の夫婦を問われるときです。今一度パートナーとして向き合って生きるということを考えてみませんか。

 夫婦の在り方を決める最初の節目は、子育て期にあると思います。「子はかすがい」と言いますが、夫は育児に関して協力的でしたか。

 妻は、慣れない家事と育児でくたくたです。その上最近の女性の殆どが外で働いています。家事、育児、仕事、そして妻と一人で何役もこなさなければなりません。

 妻は「夫に話を聞いてほしい、辛さや気持ちをわかってもらいたい、優しい言葉をかけてほしい」という思いだけなのに、夫は何かアドバイスをしたり、判断を下したりしないといけないと思って意見を言います。

 そして「夫は私のことをわかってくれない」という不満を心の隅に抱えたまま、中高年になった妻たちは向き合って生きることをあきらめてしまうのです。

 我慢、妥協は結婚生活の敵です。とかく相手にあわせようとして、我慢や妥協をするから自分にプレッシャーをかける。その結局不満がたまってくる。

 中高年夫婦が向き合って生きるには、妻は妻、夫は夫で自分の世界をもち、自立した関係で付き合うことが大切です。

 自分は自分で楽しく生きる、その上で、いっしょに楽しめるパートナーであればいいですね。

 そして、我慢するより自分の気持ちを大切にして、自分に優しくなれることが、お互いに優しくなれる一歩ではないでしょうか。 

 若く華やいだ時代から、しっとりと歳を重ねて円熟するまで、お互いが、尊重しあい、助け合い、支えあう夫婦でいたいものです。

 嘆いてばかりいないで、相手のマイナス面がどうしても気になってきたら、まずは自分を変えてみるとよいのかもしれませんね。


   真に結ばれている夫婦にとっては、若さの喪失ももはや不幸ではない。
   共に年老いることの楽しさが年老いることの辛さを忘れさせてくれる。
                             −−− A・モーロア −−−